アントニオ猪木闘魂ビンタ掛け声始まりは?アナウンサーや予備校生がきっかけ?

アントニオ猪木ビンタの始まりは?アナウンサーや予備校生がきっかけ? エンタメニュース
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アントニオ猪木さんのである代名詞「闘魂注入ビンタ」みなさんご存じですよね!

あのビンタの掛け声始まりはいつなのか?

少し調べてみると、アナウンサーや予備校生というワードが目立ちます。

実際のきっかけが気になります!

そこで今回は、アントニオ猪木ビンタ始まり掛け声きっかけはアナウンサー?アナウンサーや予備校生がきっかけ?

と題して得られた情報を全てシェアしていきます!

最後までどうぞご覧ください。

 

アントニオ猪木闘魂ビンタ掛け声始まりはアナウンサーから?

  • アントニオ猪木

本名:猪木 寛至

生年月日:1943年2月20日

出身地は神奈川県横浜市鶴見区。

プロレスラー現役時の身長と体重は、190㎝の110キロです。

オーラとその威圧感のせいかもっと大きな印象です。

 

アントニオ猪木の闘魂ビンタ掛け声始まりのきっかけ

猪木さんが試合以外で一般人にビンタをあびせた初めての相手は、当時のテレビ朝日のアナウンサー佐々木正洋さんです。

1990年2月10日、新日本プロレス東京ドーム大会のメインイベントはアントニオ猪木さんが参戦するタッグマッチ。

この試合の直前のインタビューで事件は起きました。

控室で佐々木正洋アナは猪木にインタビューをした際、「もし負けるということがあると…。」というネガティブな質問を投げかけます。

それに対し猪木さんは「出る前に負ける事考えるバカいるかよ」と怒鳴りつけ、間髪いれずに強烈なビンタを浴びせたのです。

今のご時世なら、確実に大問題になっているでしょう!w

この行為が許されるどころか、これをきっかけに「猪木さんの闘魂ビンタは縁起物」と言われるほどにまで盛り上がってしまいました。

この当時猪木さんはプロレスラー初の国会議員になっており、久々に組まれた試合で特に気合が入っていたとか。

議員になりストレスが溜まっていたという声もありますが、真偽のほどは分かりません。

時代と猪木さんのカリスマ性がマッチして伝統のパフォーマンスが始まっていたのですね。

 

アントニオ猪木闘魂ビンタ定番にさせたのは予備校生?

アナウンサービンタ事件があったのが1990年2月。

同年5月には当時国会議員を務めていた猪木さんは、早稲田予備校で開催された講演に出席しました。

教壇で予備校生たちのパンチを自らの腹で受けるという余興を行っていたさいの出来事です。

一人の生徒の強力なパンチに対し、猪木さんは反射的にビンタを食らわせてしまいました。

一瞬の間を置き強烈な一撃。

この件も一般人に対するプロレスラーの暴行事件と騒がれて当然ですが、その予備校生が猪木さんのファンだったようで「ありがとうございました」と一礼し感謝の意を示しました。

この様子がテレビで放映され大きな話題に!

受験生や予備校生が神頼みのような感覚で闘魂注入ビンタをお願いする。

この映像がきっかけとなり、猪木のビンタは縁起物と言われて世間に広まっていくこととなりました。

以降は一般人だけでなく、芸能人やスポーツ選手など数々のひとたちが猪木ビンタを受けることになります。

 

アントニオ猪木闘魂ビンタの次は闘魂注入キス!

闘魂注入ビンタはその後も有名になり、国際線のスチュワーデスから「闘魂注入ビンタしてください」と言われ、飛行機の中でビンタしたこともあるそうです。

極めつけは闘魂注入キス!

一時期は、女性ファンからビンタではなくキスをして欲しいと求められることが増えたとか。

これは、「闘魂注入キス」と呼ばれまたもや縁起物として大人気になりました。

もはや猪木さん自身が神々しい存在になっていて、何でもいいからやってほしい!

そんな状態だったようですねw

 

アントニオ猪木のビンタを受けた人の感想は?

やはりみなさん縁起物や気合をもえる貴重な経験、として語られています。

一生の思い出となるほどインパクトがあるありがたいビンタ、世界中探してもアントニオ猪木にしか成せないない偉業だと思います。

 

アントニオ猪木闘魂ビンタ掛け声始まりは?アナウンサーや予備校生がきっかけ?まとめ

アントニオ猪木ビンタ掛け声始まりのきっかけアナウンサー?掛け声など動画で紹介!

としてご紹介してきました。

アントニオ猪木さんの代名詞闘魂注入ビンタ、掛け声の始まりのきっかけはアナウンサーの何気ない一言だったたようです。

動画で見てもビンタの迫力はすごいですね。

他にも有名な掛け声や、様々な名言もありますので別の記事で紹介していけたらと思います!

 

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